阿修羅像

阿修羅像の姿について

阿修羅像阿修羅の姿は、図像には三種あります。

その一は、鎧をつけ右手に宝棒又は剣を持ち、両脇侍をおく三尊像です。

その二は、上半身裸形、両脇侍の頭部を左右につけて三面(顔が三つ)にし、手は四腎(腕が四本)像です。

その第一手は胸前で合掌、第二手は左掌に日輪、右筆に月輪を捧げ持っています。

その三が興福寺と同形の三面六腎像で、これがわが国の作例に多く見られます。

興福寺の場合、それぞれの手に何を持っていたか現状では不明です。

しかし鎌倉時代に描かれた興福寺曼荼羅によると、第一手は胸前で合掌、第二手は左掌に日輪、右掌に月輪を、第三手は左手に弓、右手に矢を、掲げていたといわれています。

仏像とは、仏の姿を形としたものですから、その仏の本性や法力がその像のすべてに表現されています。

特に手指の形や持ち物で、現している場合が多くみられます。
仏像としての阿修羅像

仏像とは、仏の姿を形としたものですから、その仏の本性や法力がその像のすべてに表現されています。

特に手指の形や持ち物で、現している場合が多くみられます。

興福寺の阿修羅像は

第二手の日・月は、昼夜・東西のことですから、いつでもどこでも、あなたを第三手の弓矢で悪神から守っていますよ。

だから安心して仏さまに帰依しなさいと、第一手の合掌を私たちにすすめているのです。

阿修羅像について

阿修羅像 阿修羅像はもと興福寺西金堂(さいこんどう)に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体です。この堂は光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したものです。

 3つの顔と6本の腕をもつ少年のような可憐な像ですが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されています。阿修羅はインド神話では軍の神で、激しい怒りを表すのが一般的ですが、興福寺の阿修羅像に激しさはどこにも見られません。

 阿修羅像は、当時、唐からもたらされた『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』をもとに作られたと考えられますが、そこには、これまでの罪を懺悔して、釈迦に帰依することが説かれています。阿修羅の表情は静かに自分の心を見つめ懺悔する姿を表したものと考えられます。 (九州国立博物館 阿修羅像説明より)

この優しい面持ちの阿修羅像は、本来の阿修羅王は、この像から想像するような優美な神ではありませんでした。
古代インド神話の阿修羅王は、帝釈天を向こうに廻して、荒々しい合戦を繰り返す悪神で、容貌醜怪な札付きの外道とされています。

興福寺の阿修羅像は、この神が釈迦の教化によって仏法の守護神となった姿で、天界を暴れ廻る鬼神のイメージはありません。

しかしこの像をよく見ると、例えば、やや眉根を寄せた悲しげにも見える表情の奥に、何か激しいものが秘められているように思えます。

この神秘な表情は、荒々しい心が仏の教化によって迷いから目ざめ、愁眉を開きつつある顔付きだといわれています。

まさにその通りで、恐ろしい顔から浄化された顔へと移り行く過渡期の表情を、見事に表現しています。

一般に仏像は、男でも女でも無いそうです。

特にこの阿修羅像は、少年か少女のような清純な優しい顔になっています。

また、子供から大人になっていく途中ともいわれています。

しかし、清純はともかく、やさしいと言うのは正確ではないようです。

次は阿修羅の正義について

阿修羅像を特別公開 奈良・興福寺